アブルッツオの宝物



アブルッツォ州Abruzzo)は、イタリア共和国中部のアドリア海沿岸にあるアブルッツィAbruzzi)とも呼ばれる。州都はラクイラ

アブルッツォという地域名は、ラテン語の Aprutium から来ており、これは現在のテーラモ付近にいた Praetutiiという氏族に由来する。
中世にはシチリア王国(のちナポリ王国)の統治下に入った。1231年、シチリア王(神聖ローマ皇帝でもあった)フリードリヒ(フェデリーコ)2世は、地方に司法・行政を掌る「司法官」 (it:Giustiziere (funzionario)を配置することを定めた。1233年、領土最北部の司法官管区 (it:Giustizieratoとしてアブルッツォ (it:Giustizierato d'Abruzzoを置いた(首府:スルモーナ)。1273年、この区画はカルロ1世(シャルル・ダンジュー)によって、アブルッツォ・ウルトラ (it:Abruzzo Ultra(首府:ラクイラ)とアブルッツォ・チトラ (it:Abruzzo Citra(首府:キエーティ)に分割された。「ウルトラ」と「チトラ」は、アテルノ=ペスカーラ川 (it:Aterno-Pescaraの「越えた側」・「手前側」を意味する。
1806年、ナポレオン時代のナポリ王国(当時の国王はジョゼフ・ボナパルト)の行政改革に際して、アブルッツォ・ウルトラが東の「第一」 (it:Abruzzo Ulteriore Primo(首府:テーラモ)と西の「第二」 (it:Abruzzo Ulteriore Secondo (首府:ラクイラ)に2分割された。この地域のアブルッツォと冠する行政区画はイタリア統一によって両シチリア王国(1816年成立)が消滅するまで維持された。

1861年に成立したイタリア王国は、地方行政区画として県を置いたが、おおむねアブルッツォ・チトラがキエーティ県、アブルッツォ・ウルトラ第一がテーラモ県、アブルッツォ・ウルトラ第二がラクイラ県(当時はアクイラ・デッリ・アブルッツィ県)に引き継がれた。
1927年、郡 (it:Circondario (Regno d'Italia)の廃止や県の統廃合といった行政区画の再編が行われたが、この際、19世紀後半から急速に発展したキエーティ県下の港湾都市ペスカーラを県都とするペスカーラ県が発足した(キエーティ県とテーラモ県の一部を分割)。また、アクイラ・デッリ・アブルッツィ県の一部(チッタドゥカーレアマトリーチェなど)が割出され、ローマ県下にあったリエーティを県都とするリエーティ県(現在はラツィオ州所属)が編成されている。

第二次世界大戦後の1948年、アブルッツィ・エ・モリーゼ州 (it:Abruzzi e Molise(州都:ラクイラ)が編成された。1964年1月、アブルッツィ・エ・モリーゼ州が分割され、アブルッツォ州とモリーゼ州が成立。

2009年4月6日、ラクイラ県を中心としてラクイラ地震(イタリア中部地震、マグニチュード6.3)が発生し、イタリア中部に大きな被害がもたらされた。同年7月のイタリアがホスト国となる主要国首脳会議は、国際的な被災地支援を呼びかけるため、開催地を急遽ラクイアに変更して開催された。(wikipedia)


          


                

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